男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介! 文字どおりの意味で「自慢じゃない」のだけれど、僕はモテない。若い頃ならともかく、32歳になる今まで彼女のひとりもいなかったとなると、たいていの人に「なんで?」と聞かれる。僕からするとなぜもクソもなくて、中学生の頃に彼女がいなかったのと同じ感覚のまま32歳になったというだけだったりする。それが当たり前だった。要するに子どもなのだ。 だから、彼女がいないことにほとんど深い悩みも抱かず、なんとなくこのままひとりでやっていくんだろうと思っていた。何、ずっとそうだったんだから大したことじゃない。そう思っていた。『きのう何食べた?』(よしながふみ)を読むまでは。 よしながふみは最近だと映画化、ドラマ化された『大奥』で知られているだろうか。『大奥』は流行病によって男性が激減した鎖国中の日本を舞台にした作品で、特に同性愛的な作品ではないが、よしなが作品の多くはいわゆるBL(=ボーイズ・ラブ。男性同士の恋愛を描く作品)に分類される。 BLはご存じのとおり、基本的には女性向けジャンルだ。だが、その中にあってよしながふみはちょっと特別な存在といっていい。「BLは読まないけど、よしながふみは読む」という男性読者がたくさんいる。よしなが作品で初めてBLに触れ、そこからBLにハマっていったという人もいる。徹底的に女性のためだったBLというジャンルに、00年代初頭に男性を流入させた大きなきっかけとして、よしながの存在は大きかったといえるだろう。 そんなよしながが「モーニング」(講談社)で月1連載しているのが、『きのう何食べた?』だ。主人公は40代のゲイカップル。話はなんてこともない。彼らの日常を、彼らの自炊レシピとともに淡々と綴っていくというもの。ドラマチックな物語では決してない。 だけど、この作品を読んでいると不意に涙が出ることがある。彼らの話は、カラッカラにモテない僕の話でもあるのだ。 いや、別に僕はゲイではないし、主人公の筧のようにイケメンでもない。むしろ、弁護士でまめまめしい料理好きで、同棲中の恋人もいる完璧超人である筧なんて、僕とは正反対といってもいい。 けど、筧は僕の未来像でもある。ゲイである彼は、恋人がいても、どんなにしっかり者でも、結婚はできないし、子どもをもうけることはない。 「結婚しないんじゃないかな」と薄ぼんやりと思っていた僕は、ずっと「まぁ、別に子どもも好きじゃないし」くらいに思っていた。実際、今だって「結婚できれば結婚するほうが絶対にいい」とは思っていない。他人と一緒にいる幸福は、他人と一緒にいる不自由と背中合わせで、そのどちらがいいかは、今の日本では個人個人が選べばいいくらいの問題だ。 だけど、3巻で実家に帰った筧が母親に問い詰められるシーンを読んだとき、「ああ」と思った。 「あなたもう44ですよ!? そういう老いじたくの事とかちゃんと彼と話した事あるの!?」 筧は44歳だから、というのはもちろんある。けど、そういうのと無関係に、子どもをもうけない人間にとっては、次のステージはもう自分の「老後」なのだ。それは、ふんわり結婚しないだろうなと思っていた僕にとっても同じだ。子どもを育てる周囲の友人たちをよそに、これから僕は自分の老後のために、自分のためだけに生きていくんだなと。結婚しないと決めることは、そういう人生を引き受けることなんだなと、そのときようやく気付いたのだ。 筧と両親、特に母親とのエピソードはどれもとても好きなのだけど、この3巻にはほかにも響くエピソードがある。正月に実家に帰った筧を描いた第19話。隣のお宅の小さな子どもたちがやってきて、勝手知ったる様子で筧の実家で遊び回る。その姿を見て、筧は思う。 「そうか きっとこの人達(両親)はもう孫の代わりにお隣の子を可愛がる事に決めたんだ…」 ずっとずっと長いこと、モテないことは自分だけの問題だと思い続けてきた。別にどう生きたって人が思うよりも幸せでいられると思い続けてきたし、今もそう思っている。だけど、自分がどう生きるかが、ほかの誰かの問題でもあることは想像したこともなかった。どうだって生きられるけど、どう生きるにしても選んだ生き方に付随するすべてに僕はもう責任を取らないといけないのだ。 基本的にはほんわかゆるゆるとしたお料理系日常マンガである『きのう何食べた?』だけれど、その淡々とした中に、よしながはちゃんと重みを持った現実と老いを描き込んでいる。そういうところが、よしながふみの怖くて魅力的なところなのだ。 (文=小林聖<http://nelja.jp/>)『きのう何食べた? 7』(講談社)
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ゲイのイケメン弁護士の物語が、非モテのオッサンを泣かせる理由『きのう何食べた?』
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