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黒柳徹子として生きるための3つの方法 フジ『ワンダフルライフ』(9月14日放送)を徹底検証!

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 黒柳徹子。1933年8月9日、東京都乃木坂生まれ。現在81歳。53年にテレビ女優第一号としてNHKに入社した日本初のテレビタレントであり、現在に至るまでレギュラー番組を持ち続ける。76年に放送を開始したテレビ朝日系『徹子の部屋』は、今なお続く長寿番組であり、「同一の司会者による番組の最多放送回数」としてギネス世界記録に認定されている。  日本のテレビ史を語る上で、黒柳徹子は欠かせない人物の一人である。日本のテレビ創世記から第一線に立ち続け、なおかつ81歳になる現在も帯番組『徹子の部屋』の司会を務める。今もって過去の遺物などではなく、そのエネルギッシュかつある種エキセントリックな生き方は多くの視聴者の共感を集め、テレビ朝日系『アメトーーク!』では「徹子の部屋芸人」として再評価されるなど、年齢を超えた生き方をテレビのど真ん中で見せつけてくれている稀有な存在である。  黒柳徹子について語ろうと思うとき、まっ先に思い浮かぶ言葉は「自由」の二文字だ。テレビという異常な日常の中で、これほどまでに「自由」を体現しているタレントはほかにはいない。芸人という、いわば埒外の人種に対してさえも圧倒するほどの「自由」をぶち込んでくるから、「徹子の部屋芸人」というコンテンツが成立するのだ。そして、その「自由」さは、我々視聴者にとっての憧れでもある。特に2014年現在のように世知辛く、誰もが空気を読んで生きることを強要される時代だからこそ、黒柳徹子の「自由」な生き方は憧れの対象となる。  フジテレビ系『ワンダフルライフ』は、半年間で終了してしまった薄命の番組だ。9月14日に放送された最終回で取り上げられたのが、黒柳徹子だった。その人選に、制作者の想いがどれほどあったかは推し量るよりほかにはないが、少なくともその最終回は、希望に満ちた最終回であった。ここで語られる黒柳徹子の半生とその人生哲学は、終焉よりもむしろ最初の一歩を感じさせた。黒柳徹子は我々視聴者に、黒柳徹子という一人の人間の生き方を紹介したのだ。  我々は「自由」に憧れる。我々は黒柳徹子に憧れる。それでは、黒柳徹子はいかにして黒柳徹子という人生を生きているのか。その3つの手法を、今回は紹介したい。 <1>黒柳徹子は、大切な言葉を忘れない  『徹子の部屋』がこれほどの長寿番組になっていることからも分かる通り、黒柳徹子は稀代の聞き上手である。それは通り一遍の受け答えができるということではなく、他者の言葉に対して真摯に耳を傾ける能力に長けているということを意味する。事実、彼女の人生そのものが、他者の言葉によって大きく影響を受けている。女優の仕事を始めた当初、個性が強すぎると言われ続けた黒柳徹子は番組のオーディションに合格した際、劇作家の飯沢匡に向かって「個性引っ込めますので宜しくお願いします」と告げたのだが、そのとき飯沢は首を横に振り「君のその個性が欲しいんだ」と伝える。この言葉こそが結果として、黒柳徹子のその後の芸能人生に大きな影響を与えることになった。  このエピソードは飯沢匡の慧眼を確かに伝えているが、しかしそれだけではない。黒柳徹子がこの言葉を聞き、それを大切な言葉だと信じて今に至るまでに忘れずにいるからこそ、意味を持つ。言葉とは、聞く者次第だ。同じような言葉を我々がかけられたとして、その言葉に反応できるだろうか。また、その言葉を50年以上も忘れずにいられるだろうか。黒柳徹子はそれができたからこそ、黒柳徹子で居続けられている。黒柳徹子は、飯沢匡の言葉を自らの人生に投影した。その言葉を信じて生きる覚悟をしたからこそ、彼女は個性という武器を手に入れたのだ。 <2>黒柳徹子は、自分なりのやり方を見つけ出す  『徹子の部屋』で、黒柳徹子が自作のメモを読みながら進行を進めるというのはよく知られている話だが、『ワンダフルライフ』ではライブコンサートの打ち合わせ風景が映される。そこで黒柳徹子が用意しているのは、進行台本を自らの手で書き写したスケッチブックだった。台本にメモ書きするのではなく、進行台本自体を書き写している。これにより、進行の内容や流れを頭の中に叩き込んでいるのだ。  また、トレードマークであるタマネギ頭にも、実は意味がある。司会者として番組に出演する黒柳徹子は、自分の後ろからカメラで撮られることがしばしばだ。そのときのリアクションがテレビの向こうの視聴者にも伝わるよう、首の後ろが見えるように、髪型を上げるという今のタマネギ頭のスタイルに落ち着いたのだという。結果としてヘアスタイルは奇抜なものになるわけだが、それが第一義ではない。視聴者に後ろ姿でもリアクションを伝えたいという目的に添うように、ヘアスタイルを決めているのだ。  黒柳徹子にとって「自由」というのは、何をやってもいいというわけではない。まず確固たる信念があり、その信念に添うならば固定観念や常識を変えてしまえというのが黒柳徹子流の「自由」である。彼女にとって「自由」とは、目的ではなく手段である。やり方は人それぞれにせよ、自身にとって最もふさわしいやり方を自らで見つけ出しているという点こそが重要であり、それは我々視聴者にとっても決して他人事ではないだろう。 <3>黒柳徹子は、リスクを背負って信念に殉じる  『徹子の部屋』の放送が開始した当時、黒柳徹子はまだ女優として活動をしていた。だがある日、自身が酔っぱらい役を演じたテレビドラマを見た視聴者から、普段もよく酔っぱらっているのだと勘違いされるという出来事が起こる。一方で『徹子の部屋』は、自身のパーソナリティを生かしたトーク番組である。このとき黒柳徹子は、テレビドラマで演じた役柄を本人と混同されることを危惧し、その時期から一切のテレビドラマへの出演を断ることを決めたのだった。  かつては週に8本のドラマに出演をしていたほどの女優、黒柳徹子は、そのときからテレビにおいては「黒柳徹子本人」としてしか出演しないと決める。実際にその後彼女が出演するテレビドラマは、本人役もしくは、本人に極めて近い役に限られている。黒柳徹子は自らの意志で、女優からタレントへと転身したのだ。金銭的、あるいは将来的なリスクを考えればなかなかできることではない。しかし黒柳徹子は、そのリスクを背負ってでも、自らの信念に殉じたのだった。  我々は「自由」に憧れる。我々は黒柳徹子に憧れる。しかし、それは簡単な道ではない。「自由」を真摯に求めれば、そこには必ず軋轢や葛藤が生じる。だが黒柳徹子が黒柳徹子として生きるためには、その軋轢や葛藤を乗り越える必要があった。そして彼女は、それをやって見せたのだし、今でもなおそれをやって見せている。「自由」に、あるいは黒柳徹子に、憧れるだけなら簡単なことだ。それを人生で実践できるかどうか。黒柳徹子は、それをやって見せている。彼女の足下はとても軽やかだから、傍目で見ていれば気付くことはないかもしれない。それでも黒柳徹子は、黒柳徹子として生きるために、多くのものを乗り越えてきているのだ。  現在81歳となる一人の人間が、今まさにそうやって生きている。その先人の存在が、希望でなくてなんであろうか。幸いにして、我々にはまだ時間がある。81歳になるまでには、まだ何年かあるだろう。憧れを他人事にしたくないのならば、黒柳徹子という存在は、偉大なるメルクマークとして我々の前に確かに存在しているのだ。 【検証結果】  『ワンダフルライフ』と奇しくも同じ時期、9月13日に放送されたTBS系『世界ふしぎ発見!』では、「黒柳徹子不老不死伝説」と題して黒柳徹子の「ふしぎ」さが紹介された。彼女はミステリーハンターとして楽器・テルミンを学びに行った。「空気をかき回しただけで鳴る楽器なんて、ほかにない!」と笑顔で語る黒柳徹子だったが、実はある。その楽器とは、黒柳徹子自身だ。彼女は空気をかき回すことで、視聴者の心と共鳴する一つの楽器だといえるだろう。その音色がどう奏でられるのかは、我々視聴者次第。しかし少なくとも、その音色の鳴らし方は、誰にとっても「自由」そのものである。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

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