いつの間にか大人になってしまった、かつての少年たちの涙腺のツボをピンポイントで攻めてくる原恵一監督。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(01)や『河童のクゥと夏休み』(07)を観て、顔面がぐしゃぐしゃになった大人たちは相当数いるに違いない。日々の雑務に追われて記憶の片隅へと追いやってしまった、少年期の大切な忘れ物を鮮やかに思い出させてくれる得難いアニメ監督だ。これまで実写映画さながらの細やかな演出が高く評価されてきたが、加瀬亮主演作『はじまりのみち』でついに実写デビューを果たした。原監督らしい派手さを排した、戦闘シーンのない静かな戦争映画となっている。 かねてより木下惠介作品のファンであることを公言してきた原監督の実写デビュー作は、若き日の木下惠介監督を主人公にしたノンフィクションドラマ。木下監督はデビュー作『花咲く港』(43)が山中貞雄賞を受賞し、『姿三四郎』(43)で同賞を分け合った黒澤明監督と共に日本映画のこれからを担う若手監督と目されていた。時局がら、木下監督は国策映画『陸軍』(44)を撮るが、田中絹代演じる母親が出征する息子を涙ながらに見送るラストシーンが「国威発揚映画にふさわしくない」と情報局から睨まれてしまう。このため準備を進めていた新作は撮影中止に。上司の城戸四郎がなだめるのを振り切って、木下監督は辞表を出して故郷・浜松に向かう。だが、終戦間際となった翌夏、木下監督は再び撮影所へと戻ってくる。映画界を離れた空白の数カ月、木下監督の身に何が起きたのか? 『二十四の瞳』(54)、『喜びも悲しみも幾歳月』(57)などの大ヒット作を放ち、戦後の日本映画を代表する巨匠となっていく木下監督の内面の変化を、実写映画化することで探ってみようという試みだ。松竹を辞めて、無職となった木下惠介こと木下正吉(加瀬亮)。
故郷の浜松に戻り、自分の原点を見つめ直していく。
狭き門である松竹に入社し、念願の映画監督に就いたものの、外部からクレームが付けられ、あっさり退職してしまった木下惠介こと本名・木下正吉(加瀬亮)。映画の世界を離れた正吉にとっての最大の懸案事項は、脳溢血で寝たきり状態になっていた母・たま(田中裕子)を安全な場所へ疎開させることだった。戦局は思わしくなく、東京だけでなく浜松も空襲に遭い、身動きのとれない母を山間部の気田まで運ぶことにする。だが、脳に障害を抱える母を長時間揺られるバスに乗せるわけにはいかない。そこで正吉はリヤカーに母を載せ、約60kmの道程を人力で運ぶことを思い付く。兄の敏三(ユースケ・サンタマリア)と2人掛かりで、荷物は便利屋(濱田岳)に任せるとはいえ、延々と続く坂道をしかも炎天下の中を進んでいくのは無謀というもの。いつ敵襲に遭うかも分からない。周囲が反対するのをスルーして、正吉は母を載せたリヤカーをずんずんと引き始める。 『はじまりのみち』は男たちが汗だくでリヤカーをひたすら引っぱり続ける、シンプルすぎるほどシンプルなロードムービーだ。他人の言葉に耳を貸さない正吉。兄の敏三は弟の性格を知っており、余計な口は挟まない。母・たまは黙ってリヤカーの上で横たわっている。便利屋は最初こそ減らず口を叩いていたが、道が険しくなるにつれて口数が減っていく。みんな黙々と坂道を進んでいく。このときの正吉がリヤカーに載せて引っ張っていたものは、病気を患った母だけではなかった。大好きだった映画が思うように撮れなくなったことへの苛立ちや悔しさ、東京の住まいだけでなく浜松の実家まで空襲に遭い、財産を失ってしまった不安や恐怖も一緒に引き摺っていた。母親を載せた以上の重さを、正吉はずしりと感じていた。 夏の陽射しに照らされ、土砂降りの雨にも見舞われ、舗装されていない坂道をリヤカーで一歩一歩進む行為は、肉体的には堪らない苦痛だったはず。だが、正吉にとっては最愛の母と濃密な時間が過ごせる至福の体験でもあった。働き者だった母・たまは、中学生になったばかりの正吉にカメラを買い与えるなど、感受性豊かな正吉の才能を育んでくれた良き理解者だった。戦局は日に日に悪化していく。母の病状が回復する見込みも少ない。でも、正吉はヘトヘトになりながらも、掛け替えのない幸せを味わっていた。正吉が感じる重さは、母・たまが自分を産んで育ててくれたことの苦労や愛情と繋がっているように思えたからだ。正吉の目に映るのは、緑に溢れた田舎の風景だけで、日本が米国や中国を相手に戦争をしていることもしばし忘れさせてくれる。喜びと苦痛がせめぎあう中、正吉はふと気づく。このリヤカーの重みは、自分ひとりが感じているものじゃないと。運ばれている母も同じように感じている。そして、みんな誰もが負っているものなんだと。兄の敏三(ユースケ・サンタマリア)と共に、母・たま(田中裕子)を
山奥へと疎開させる。正吉にとって生涯忘れられない夏休みに。
約30年間にわたってアニメ作品を手掛けてきた原監督だが、初の実写作品となった本作で印象的なシーンを撮っている。夜中からリヤカーを引いてきた男たちは、坂道の途中で休憩しながら自分が食べたいものを夢想する。長引く戦争の影響で食料が不足している。食い意地の張った便利屋役の濱田岳は、地元名産のシラスの天ぷらが食べたいと言う。揚げたての熱々のシラスの天ぷらは、キンキンに冷えたビールにぴったりだ。シラスの滋味とビールの苦みが心地よく口の中に広がる。この様子を濱田はパントマイムで実に美味しそうに演じてみせる。ここらへんの肉体表現は、アニメーションではなかなか難しいところだろう。もうひとつは田中裕子の見せ場。一行はようやく旅館に到着するが、口の利けない母・たまはリヤカーの中で泥まみれ、埃まみれになっていた。そのことに気づいた正吉は、旅館に上がる前の母の顔を濡れた手ぬぐいで丁寧に拭く。それまでの病人顔だった母が、凛としたひとりの婦人の顔へと変貌する。台詞らしい台詞が与えられなかった田中裕子が、演技派としての実力を発揮してみせた瞬間だ。生身の俳優たちを演出する楽しさを原監督は堪能したに違いない。 戦争のさなか、職を手放し、財産も失った木下正吉だが、リヤカーを引き続けた2日間で自分にとって大切なものは何かを見つめ直す。この直後、焼け野原状態の東京に戻り、映画製作を再び始める。米軍による占領期に撮影された『お嬢さんに乾杯』(49)は戦後版『モテキ』と称したくなる抜群にシャレたラブコメディだ。日本初のカラー映画として製作された大ヒット作『カルメン故郷に帰る』(51)は跳ねっ返りの純情ストリッパー、リリー・カルメンが田舎に帰省して大騒ぎを起こすというもので、山田洋次監督の『男はつらいよ』(69)の原型となった。松竹を離れた後は黎明期のテレビ界に拠点を移し、良質のホームドラマを次々とプロデュースした。映画界とテレビの世界を股に掛けて多彩な作品を手掛けた木下監督は、戦時中の何もないビンボー時代に戻ってもヘッチャラだよという気構えが強みだった。母親を載せたリヤカーを引っぱった体験が、巨匠にとっての揺るぎない“基準点”だった。道に迷えば、そこに戻ればいい。基準点さえ見失わければ、自分の居場所を見失うことはないと。 市井の人々の愛すべき日常生活を描き続ける原恵一監督にとって、“木下惠介”という存在が基準点なのだろう。『河童のクゥと夏休み』や『カラフル』(10)でアニメ表現を極めた感のある原監督だが、尊敬する木下監督が道に迷った頃のエピソードを実写化するという冒険を経験し、多くの刺激を受けたはずだ。アニメの世界へと帰還するのか、それともさらに実写作品に挑むのか。いずれにしろ自分の基準点を見つめ直した原監督が、これからどんな作品に取り組むのか興味深い。そして、原監督の実写デビュー作『はじまりのみち』は、見終わった後にこんなことを感じさせる。自分にとっての基準点は一体何だろうかと。迷い込んだ森の中で、しばし地図を広げてみる。 (文=長野辰次)お調子者の便利屋(濱田岳)と一本気な性格の正吉はウマが合わない。
それでも便利屋は「仕事がなければ、うちで働けよ」と正吉を気遣う。
