チキショーッ! チキショーッ! 整形手術を終えたばかりの女は、窓ガラスに映った自分の姿を見て腹の底から絞り出すように叫んだ。整形手術に失敗したから叫んでいるのではない。8万4,000円の費用で二重まぶたにする手術は成功した。それまでのゴツゴツした岩にできた裂け目のようだった一重まぶたが、少女漫画のヒロインのような愛らしいツブラな瞳に変わったのだ。どうして家族は整形手術を勧めてくれなかったのだろう。なぜ自分はもっと早く気が付かなかったのだろう。故郷でモンスターと呼ばれ、暗黒の青春時代を過ごしてきた女は、家族への憎しみ、自分自身の無知さ、世間の不条理さに対する怒りが混然となり、血を吐くように叫び続けた。そして吐き出された感情の中には、これから自分の人生は変わるかも知れないというひと筋の希望と自分をさんざん笑いものにしてきた人間たちへの復讐心が芽生え始めていた。高岡早紀主演の『モンスター』は整形手術によって別人へと生まれ変わろうとするひとりの女の情念を描いたサスペンスタッチの物語だ。 百田尚樹氏の小説『モンスター』は、醜い容姿に生まれつき、心を閉ざしたまま育った女性・和子が主人公。整形手術によって自信を得た和子は、様々な職業と男たちの間を変遷していき、美貌と知性を磨いていく。いわば歪んだ形のビルドゥングスロマンスだ。主演の高岡早紀は毎日2時間かけて特殊メイクを施し、撮影現場を訪問した原作者の百田氏が直視できないほどの異形の顔でヒロイン・和子の悲惨な日々を熱演した。生まれつき醜い和子は整形手術を重ねることで人工的な美しさを手に入れていくが、高岡の場合は逆に特殊メイクで顔を隠した状態からシーンが進むにつれて自分の素顔に戻っていく。美しさを手に入れて、コンプレックスから解放されていく和子の言動の数々には女性の本音が込められているようでゾッとさせられる。『モンスター』の主人公・和子(高岡早紀)は、
見た目で人を判断する現代社会の軽薄さを呪う。
だが、そんな彼女自身が誰よりも外見を気にした。
和子が“モンスター”と呼ばれるようになったのは、高校時代に起きた事件がきっかけだった。学校で友達もできず、家族からの愛情を感じることもなく育った和子だが、そんな彼女の心がときめく唯一の存在が高校の同級生・英介だった。実は和子と英介はまだ容姿を気にしない幼少期に一緒に町外れにある灯台まで冒険した思い出があった。夜道を迷子になりながらも英介はずっと和子の手を握ってくれていた。和子はそのときの手の温もりが忘れられない。和子にとって英介は初恋の相手であり、白馬の騎士だった。高校で再会した英介は和子のことをすっかり忘れていたが、他のみんなが外見だけでなく性格も暗い和子を敬遠するのに、彼だけは明るく挨拶を交わしてくれる。やはり自分には英介しかいない。だが、英介は学校中の人気者だ。そこで和子は実家の薬局からメチルアルコールを無断で持ち出し、カラオケパーティーの席上で英介に飲ませようとする。英介の目が潰れればいい。そうすれば、私が一生世話してあげる。幼い頃に灯台まで冒険した2人の淡い初恋物語を美しく完結させることができる。だが和子の企みはあっけなくつまずき、学校中でモンスターと呼ばれるようになった。故郷にいれなくなった和子は実家も追い出され、単身で東京へと向かう。人を愛したがために和子はモンスターと化したのだ。 上京した和子は名前を変え、ひっそり地道に働いていたが、ふと手にした雑誌に掲載されていた美容整形の広告に目が留まる。整形外科を訪ねた和子は感動に震えた。看護士や担当医たちは明るい笑顔で和子を迎え入れ、とても親切に美容整形の素晴らしさを説明してくれる。初めて人間らしい扱いを受けた。汗水流して働いた貯金は瞬く間に手術代に消える。しかしコンプレックスから解放される喜びには換えられない。度々手術を受けることを職場の同僚は笑ったが、自信を手に入れた和子は同僚をボコボコに締め上げる。長年にわたって溜め込んだ彼女のマイナスエネルギーに敵う相手はいなかった。瞳を大きくした次は鼻梁も高くし、さらにはアゴの骨を削って顔の輪郭ごと変えていく。手術費が足りなくなり、SMクラブのM女を振り出しに、ホテトル、ファッションマッサージ、ソープランドと性風俗の世界を渡り歩くようになる。完璧な美貌を手に入れた和子が最後に受けた手術は、顔に“ゆらぎ”をもたらすことだった。整い過ぎた人工的な顔はすぐに飽きられる。そこで左右がビミョーに異なる“ゆらぎ”を施す。そうすることで、右から見るとセクシーな大人の女性、左から見るとイノセントな童女のように映るのだった。男たちは誰もが彼女に夢中になっていく。ずっと目立たないように生きてきた和子だが、
整形手術をきっかけに性格が変わっていく。
自分を笑った同僚を血祭りにする。
無敵の整形サイボーグとなった和子だが、いくつかの弱点があった。すべての歯を抜いて、アゴを細くしたために食事がほとんど摂れなくなってしまった。性風俗で体を酷使し、避妊剤や性病対策の抗生物質を大量に飲み続けたことで内臓が疲弊していた。そして子どもを産むことができない。子どもを産めば、苦労して手に入れた自分の容姿とは似ても似つかぬ我が子と対面することになるからだ。女としての幸せを享受できる時間があまり長くは残されていないことを悟った和子は故郷へと向かう。醜い自分を追い払ったトラウマだらけの町へと。自分が愛した唯一の男性にもう一度だけ逢うために。 整形手術によって“美貌”という武器を手に入れ、人生の勝利者となっていく和子。沢尻エリカ主演の『ヘルタースケルター』(12)と同じ題材を扱っているが、沢尻演じるヒロイン・りりこが芸能界で迷走していくのに対し、和子が暗い青春時代に溜め込んだネガティブパワーを反転させてゴールへと爆走していく様子はある種の快感をもたらす。また、和子は美しくなっていくにつれ、逆に生命力が徐々に衰えていくという設定がはかない。和子の中では、美しさと生命力は反比例の曲線を描いている。もはや和子に生きる気力を与えているのは、初恋の相手に逢いたい、あの腕に抱かれたいという少女期の乙女チックな願望だけだ。大九明子監督をはじめ、脚本、撮影、特殊メイクとメインスタッフは全員女性。高岡早紀が美熟女ボディ(部分的に特殊メイク仕様)をさらしているが、初恋の相手を演じた加藤雅也との絡みのシーンは女性目線のムードを重視したものとなっている。 和子は人を愛することでモンスターへと変貌した哀しい女だ。そして、その愛が成就したことで、和子の中のモンスターは死滅する。『ヘルタースケルター』のヒロイン・りりこが異国の地で異形のモンスターとして生きていく道を選ぶのに比べ、ラストも非常に対照的となっている。いずれにしろ女性モンスターは無敵の存在である。彼女たちに太刀打ちできる男は、今のところ何処にも見当たらない。 (文=長野辰次)製本工場に勤めながら、SMクラブでM女として働き始めた和子。
男たちにいくら殴られ、辱めを受けても、手術費を稼ぐためなら平気だった。
