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橋口亮輔監督の7年ぶりとなる新作長編『恋人たち』。橋梁を叩いて安全性を確かめるアツシ(篠原篤)は、橋口監督の分身でもある。
映画の冒頭、ヒゲづらの男が博多弁でとつとつと愛について語る。男はかねてより交際していた恋人にプロポーズした。どんな答えが返ってくるか、ドキドキする瞬間だ。答えはイエス。男はタバコはもうやめるけんと約束するも、恋人がシャワーを浴びている最中に、うれしさのあまりついタバコを一本吸ってしまう。当然、シャワーから出てきた彼女はタバコの匂いに気づく。男は怒られるかと一瞬ビクつくが、彼女はこう言った。「これから一緒に暮らしていく中で、少しずつ減らしていければいいね」と。ヒゲづらの男はたどたどしくも、かつて恋人と過ごした愛おしい時間を振り返る。そして観客は、その愛はすでに失われたものであること知る。『ぐるりのこと。』(08)以来となる橋口亮輔監督の7年ぶりの新作長編『恋人たち』は、愛を失い、現代社会で迷子になってしまった3人の“恋人たち”に寄り添い、彼らが不幸のどん底から懸命に這い上がろうとする姿を追っていく。
橋口監督は『ぐるりのこと。』で法廷画家(リリー・フランキー)の目線を通して、阪神大震災後に起きた神戸連続児童殺傷事件や地下鉄サリン事件などの凶悪犯罪を取り上げ、日本の社会構造、日本人の精神構造が90年代に大きく変わったことを浮かび上がらせた。橋口監督がオーディションで選んだ3人の無名キャストを主演に起用した本作は、東日本大震災や原発事故を体験しながら、五輪を誘致することで御破算にしてしまおうという『ぐるりのこと。』以降の今の日本が描かれる。政権が変わっても庶民の暮らしはまるで変わらない。むしろ社会格差や無縁化はますます進んでいる。無名キャストが演じる3人の主人公たちは、社会の荒波に簡単に呑み込まれてしまう。それほどちっぽけな存在だ。
ヒゲづらの男・アツシ(篠原篤)は最愛の恋人と結婚したものの、通り魔によって伴侶の命はあっけなく奪われてしまった。あまりにも理不尽な出来事に遭遇し、アツシは働けなくなり、健康保険の支払いもできない状況に陥った。橋梁の安全性を点検する仕事に就くが、鬱状態で欠勤がちだった。皇室ウォッチャーの瞳子(成嶋瞳子)はお弁当屋でパートとして働く、ごく平凡な主婦。夫とは機械的にコンドーム付きのセックスをするだけで、家庭内の会話はほぼない。パート先で鶏肉業者の藤田(光石研)と知り合い、肉体を重ね合う関係となる。雅子さまに憧れている瞳子には、疲れた中年男の藤田が自分を狭い檻から助け出してくれる王子さまのように思える。3人目の恋人は、弁護士の四ノ宮(池田良)。同性愛者の四ノ宮は学生時代からの親友・聡(山中聡)のことを想い続けているが、そのことは口にすることができない。一流企業をクライアントにし、裕福な生活を送る四ノ宮だが、心はずっと満たされないままだった。アツシも瞳子も四ノ宮も、本当の愛を求めてこの世界で迷子になってしまった、哀しい“恋人たち”だった。
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東北から流れてきた寄る辺なき男・藤田(光石研)。平凡な主婦・瞳子(成嶋瞳子)は、藤田の口車にまんまと乗せられるはめに。
時代の波に流され、社会から黙殺されている3人の恋人たちとは対称的に、皇室の話題が劇中では度々取り上げられる。日本の皇室は神話の時代から続くこの国の“永続性”を示すシンボルだ。血の存続が優先され、個人の人権や人格は後回しにされる、なかなかしんどい立場にある。そんな永遠に続く家族=皇室をシンボルとして奉る日本社会を底辺から支えている庶民は、もっとしんどい。アツシは最愛の伴侶を失っており、ゲイの四ノ宮はまずノーマルな家庭を持つことはできない。瞳子が嫁入りした家は、退屈すぎて窒息してしまいそう。愛する人もなく、体を休める家庭もなく、3人の恋人たちは何を頼って生きていけばいいのだろうか。映画秘宝2015年12月号のインタビュー記事によると、橋口監督は「映画制作で印税にかんしてのトラブルがあって、お金が入って来なくなり、ふえるわかめちゃんをずっと食べていた」という。何も信じることができず、生きる気力を失いかけていた橋口監督の心情が、アツシたち3人の主人公たちにありありと投影されている。
自主映画出身の橋口監督は、『二十歳の微熱』(92)、『渚のシンドバッド』(95)、『ハッシュ!』(02)、そして『ぐるりのこと。』(08)と寡作ながらマイノリティー側の視座をもつ映画作家として着実にキャリアを実らせてきた。本作では無名キャストを主演に起用することで、企画内容よりも原作の話題性や集客力のある人気キャストを配役できるかどうかに重点を置く今の映画界に疑問を投じるだけでなく、無名キャストたちから熱演を引き出すことで映画にはまだ多くの可能性が残されていることを明示している。また、無名キャストたちの裸の演技に触れることで、本作はスクリーンの向こう側の出来事ではなく、観客にとって非常に身近な物語だと感じさせる。家庭という居場所もなく、愛を見失ってしまった恋人たちは、映画館の中の闇に身を委ねる観客自身でもある。アツシ、瞳子、四ノ宮は、我々によく似ている。
心に沁みるシーンがある。橋梁の検査会社に勤めるアツシは、いつもうつむき加減で、職場でも口数が少ない。そんなアツシに、女子社員の川村(川瀬絵梨)が休憩中に声を掛ける。「会社に暗い人がいると母親に話したら、家に来て一緒にテレビを見ようって言ってました」。劇中に登場することのない川村の母親だが、彼女にはアツシが大きな心のキズを負っていることが見えている。心のキズを癒すことはできなくても、赤の他人と一緒に過ごすことで少しは気が紛れるかもしれないよと娘が勤める会社の同僚のことをこの母親は気遣う。その言葉で簡単に立ち直れるほどアツシのキズは浅くないが、そんな同僚や上司の黒田(黒田大輔)の思いやりが積み重なって、辛うじて彼を支えている。
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学生時代からの親友関係が続く聡(山中聡)と四ノ宮(池田良)。だが、聡が家庭を持ってから、2人の間に微妙な溝が生じるようになっていた。
放尿シーンも印象深い。お人好しの瞳子は藤田から郊外にある養鶏場に連れていかれ「一緒に養鶏場を経営しよう。お金を用意してくれないか」と頼まれる。藤田が瞳子を騙そうとしているのはバレバレなのだが、今みたいな死ぬほど退屈な生活を続けていくのなら、束の間でも甘いロマンスに酔ってみたいと瞳子は思う。近くの丘に登った瞳子は藤田のいる鶏小屋を見下ろしながら、パンストを下ろして放尿する。タバコを吸いながら、瞳子はとても気持ちよかった。我慢していた尿意から解放された瞬間の快感とジワッとした尿の温かさがスクリーンいっぱいに広がる。毎日無意識のうちに行なっている排泄行為の気持ちよさを本作は教えてくれる。そして、排泄するということは生きている証でもある。橋口監督は排泄行為を、生きているということを愛おしく紡ぎ出す。
生きる希望をなくしたアツシに対し、橋口監督は安易に「生きていれば、そのうちいいことがあるさ」とは口にしない。もはや死ぬことしか考えられなくなったアツシに向かって、アツシの上司である黒田は「君がいなくなったら、僕が寂しい。僕は君ともっと話がしたい」と自己本位な言葉を投げ掛ける。愛する人はいなくなったけれど、自分を必要としてくれている人がまだいたのだ。アツシ、瞳子、四ノ宮はそれぞれ日常生活の中で自分を必要としてくれる存在と向き合うことになる。現役引退を決めたプロ野球選手が、打撃投手やスカウトマンとして第2の人生を歩み始めるようなものだろうか。人間はいちばん大切な恋人や生き甲斐を失っても、それでも人生は続いていく。日本という国は2008年以降、人口が減少し始めた。日本という国はあるピークを過ぎたのかもしれないが、それでもこの国は存在し続ける。アツシたちの前に、これまでの上り坂とは異なる風景が広がっている。
愛を失った恋人たちが暮らすこの社会は、汚水にまみれ、あちらこちらにヒビ割れが目立つようになってきた。でもそんな社会の皮を一枚めくると、熟成されきってズブズブになってしまった恋愛の成りの果てやまだ愛にはならない未成熟な想いといったものがいっぱい詰まっている。自分によく似た恋人たちは失った愛や破れてしまった夢を抱えながら、この世界で生きていくことを選ぶ。
(文=長野辰次)
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『恋人たち』
原作・監督・脚本/橋口亮輔 出演/篠原篤、成嶋瞳子、池田良、安藤玉恵、黒田大輔、山中聡、山中祟、水野小論、内田慈、リリー・フランキー、高橋信二郎、大津尋葵、川瀬絵梨、中山求一郎、和田瑠子、木野花、光石研
配給/松竹ブロードキャスティング、アーク・フィルムズ PG12 11月14日(土)よりテアトル新宿、テアトル梅田ほか全国ロードショー
(c)松竹ブロードキャスティング/アーク・フィルムズ
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