6月18日に放送された『HKTのおでかけ!』は「選抜総選挙 歓喜と涙の舞台裏を全て見せますSP」と題して、HKT48メンバーがこのたびのAKB48選抜総選挙について振り返った。その際、番組のMCを務める指原莉乃は、人気を集める極意として、たった一言の言葉を述べる。すなわち「不幸感」である、と。 今月6日に行われた「第7回AKB選抜総選挙」にて、首位返り咲きを果たした指原莉乃。得票数は、過去の選抜総選挙史上最多となる19万4,049票という驚愕の数字を叩き出した。そんな彼女だからこそ、その言葉には説得力はある。「不幸感」はそのまま得票数に跳ね返ると、指原は語る。ファンに、“自分が支えてあげなくてはならない”と思わせる部分がどこかにないと、多くの票を集めることはできないのだ。 あるいは、6月11日に放送された『僕らが考える夜』(フジテレビ系)でもそうだ。「総選挙 悔いなく戦い切りましたか?」をテーマにして行われたこの放送で、ランクインできなかったメンバーからアドバイスを求められた指原はこう答える。「心配される要素がないからじゃない?」と。これもまた「不幸感」と同様、彼女の特性をそのまま伝える言葉だ。指原莉乃は神ではない。どこか不幸で、心配される要素を持ち、そしてそれが多くの人々の共感を集め、彼女は総選挙1位という座を手にしたのだった。 「不幸感」「心配される要素」、そして彼女が所属する「太田プロ」。この3つをつないだときに、真っ先に思い出される先人が存在する。すなわち、ダチョウ倶楽部である。 いわゆる「リアクション」を、芸の域までに高めたダチョウ倶楽部。そこには不幸感がある。心配される要素には事欠かない。太田プロの直接の先輩となるそんなダチョウ倶楽部が、指原莉乃の生き様に影響を与えているのは間違いないといえるだろう。実際、指原莉乃の特にバラエティ番組における振る舞いは、ダチョウ倶楽部のリアクション芸に近い構造を持っている。それでは、ダチョウ倶楽部のリアクション芸とはどのようなメカニズムによって成り立っているのか? 大きく分けて、以下の3つの過程を踏まえている。 (1)「自らの意志」を打ち出す ダチョウ倶楽部が「リアクション」という伝統の上で新しいのは、この点だといえるだろう。芸人に対しての理不尽な暴力は、時にいじめと感じられたり、あるいは一部の視聴者から不快感を持たれることもあるわけだが、彼らはまず「自らの意志」を打ち出す。やらされている、という状況の中でも、最終的には「自らの意志」でそれをやることを決めている。「俺がやるよ」「どうぞどうぞどうぞ」というくだりは、まさにその象徴だ。 「不幸感」や「心配される要素」はリアクション芸に不可欠なものではあるのだが、それはあくまでも結果的なものでなくてはならない。「自らの意志」がそこにあるからこそ、視聴者は笑ってそれを見守ることができる。言ってしまえば、視聴者を共犯者にすることによって、リアクションは初めて安心して見られるものになる。ダチョウ倶楽部の革命は、まさにこの点にある。 (2)「アクシデント」に見舞われる 前提としての(1)があった上で、当然(2)が起こる。これによって、リアクションを起こすことができる。この「アクシデント」をいかにコミカルに見せることができるかも、重要なところだ。リアクション芸とは、大きく分類すると「お約束」という種類の芸に入るわけだが、ここでどう「アクシデント」を起こすかが肝になってくる。 ダチョウ倶楽部でいえば、「押すなよ!」からの流れである。そこからのパターンだ。「押すなよ!」と言っているのに押される、「押すなよ!」と言って自分から足を滑らせる、「押すなよ」と言ったらほかの人間から押される、あるいはメタ的に結局誰も押さずに「押せよ!」というパターンもある。いずれにせよ、それは「アクシデント」でなくてはならない。手法やタイミングを含めて、視聴者の予想をどう裏切るかが重要な点である。 (3)「強いもの」に対してかみつく リアクションが終わった後の対応にも、気を配る必要がある。「不幸感」や「心配される要素」を視聴者は(2)で消費しているわけだが、そのまま終わってしまっては悪い後味が残る。共犯者に仕立て上げた視聴者から、罪悪感を取り除かなくてはならない。その際に最も効果的な手段は、より「強いもの」の存在を想起させ、その「強いもの」に罪をなすりつけるというやり方である。 ダチョウ倶楽部の「殺す気か!」という言葉は、この(3)のために用意されている。それはときにメンバーであったり、あるいは番組のMCであったり、もしくは熱すぎるお湯を用意した番組スタッフであったりする。自分より「強いもの」に対してかみつくことで、視聴者の罪悪感を緩和させなくてはならない。少なくともリアクションを職業にするためには、この行程は必要不可欠だといえるだろう。 以上のように、ダチョウ倶楽部のリアクションは(1)から(3)までの構造によって成されている。これによって「不幸感」と「心配される要素」は、職業として成立するのだ。それでは、指原莉乃はどうか? もちろんダチョウ倶楽部ほどとはいえないが、バラエティ番組での振る舞いの多くがこのメカニズムをなぞっている。 たとえ、ば6月7日に放送された『この差って何ですか?』(TBS系)にゲスト出演した指原莉乃。テーマとしては、一度口をつけたペットボトルはいつまで飲んでも健康的に問題がないかという話なのだが、その際の指原莉乃は忠実に(1)から(3)までをなぞる。 (1)「自らの意志」を打ち出す まず指原莉乃は、こう口にする。「お茶とかお水とかは全然いけます。1カ月でも」と。ここには「自らの意志」がある。自分の立ち位置を明確にしている。こうして視聴者は、指原莉乃からの視点によって、このテーマに取り組むことが可能となる。 (2)「アクシデント」に見舞われる 指原莉乃は「ペットボトルをストローで飲んでいる」と話すのだが、これに対して専門家から「ストローは絶対にやめたほうがいい」と忠告される。これは、ストローで飲むと口の中の菌がペットボトルの中に戻ってしまうからなのだが、指原にとっては予期せぬ「アクシデント」だといえるだろう。ここでの指原が慌てるコミカルな反応も、視聴者にとっては笑いになる。 (3)「強いもの」に対してかみつく 専門家からストローを否定された指原莉乃は、最終的にこうほえる。「えっ!? だってこの番組が(ペットボトルに)ストロー入れてるんです!」と。指原莉乃にとって番組、及び番組スタッフとは「強いもの」にほかならない。最終的に、悪いのは「強いもの」であるというアピールとともに、(1)から(3)に至るメカニズムは成立している。 指原莉乃がメンバーに言うように「不幸感」や「心配される要素」は、少なくともAKB選抜総選挙で多くの票を獲得するためには、必要なことだといえるだろう。だが、それだけがあれば良いというものではない。ダチョウ倶楽部から学んだ太田プロイズムと、そして本人の知恵によって、指原莉乃は「不幸感」や「心配される要素」を一つの武器にまで磨き上げている。ダチョウ倶楽部から指原莉乃へと継承される、太田プロイズム。それはなかなかに、深いものなのであった。 【検証結果】 なお、前述した『僕らが考える夜』(6月11日放送)で、指原莉乃は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵と共演している。AKB総選挙1位と太田プロ総選挙1位の夢の共演である。そこで上島竜兵は、何を語ったか? 何も、語らなかった。驚くべきことに、30分の番組の中で、ほぼ一言もしゃべっていない。頭の太田プロ総選挙の話題の際に何度か返事をするだけで、以降は一言も言葉を発しないのであった。「心配される要素」をこれほどまでに強く保ち続けるタレントは、ほかにいないだろう。見事というほかない。指原莉乃は、果たしてこの上島竜兵に追いつくことができるだろうか? おそらく、まだまだ時間はかかるだろうが、注目して見守りたいところだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
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指原莉乃が継承する太田プロイズムとは? TBS『HKT48のおでかけ!』(6月18日放送)ほかを徹底検証!
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