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HDリマスター版として初DVD化された『ありふれた事件』。殺人鬼ベン(ブノワ・ポールヴールド)の凶行がドキュメンタリータッチで描かれる。
ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(50)、ティム・バートン監督の『エド・ウッド』(94)、デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』(01)、今敏監督の『千年女優』(02)、アミール・ナデリ監督の『Cut』(12)など、“映画”そのものをテーマにした映画は少なくない。映画監督たちの映画への溢れんばかりの情熱が観る者を魅了するわけだが、そこには映画人ならではの“狂気”も同時に描かれている。日本では1994年に劇場公開されたベルギー映画『ありふれた事件』(92)にも、そんな映画人たちの一線を越えてしまった野心と狂気がモノクロ映像の中にくっきりと映し出される。劇場公開から20年の歳月を経て、映画マニアたちに愛され続けてきたカルト映画『ありふれた事件』が初DVD化されることになった。
フェイクドキュメンタリーとして作られた『ありふれた事件』の表向きの主人公は“連続殺人鬼ベン”ことブノワ・バタール(ブノワ・ボールヴールド)だが、本当の意味での主人公はベンを密着取材している監督のレミー(レミー・ベルヴォー)、カメラマンのアンドレ(アンドレ・ボンゼル)ら撮影クルーたちだと言っていい。レミーらは斬新な自主映画を作りたくて堪らない。連続殺人鬼の日常を追ったドキュメンタリー映画を撮り上げることで、寝ぼけた映画界に殴り込みを掛けてやろうと企んでいる。園子温監督の『地獄でなぜ悪い』(13)のファックボンバーズように、まだ誰も撮ったことのない衝撃作を撮りたくて悶え苦しんでいるビンボーな若者たちの物語だ。「このドキュメンタリー映画が公開されれば、映画界の歴史を塗り替えることができる」という熱い想いを抱き、ベンが殺人を次々と犯していく様子をカメラで追っていく。
レミーたちが被写体として追うベンは、ホラー映画にありがちな快楽殺人鬼ではない。食べていくための生業として、強盗殺人を重ねている。いちばんのターゲットは郵便局員だ。月はじめの郵便局員のカバンには、街中の高齢者たちに届ける年金が入った現金書留がたんまりとある。しかも、年金生活している高齢者たちの住所まで手に入って一挙両得だ、とベンはにんまり笑顔を見せる。ひとり暮らしの高齢者が暮らすマンションを訪ねたベンは、同行取材する撮影クルーをうまくダシに使う。「どうも! お年寄りの方たちに“孤独”に関する意識調査を行なっています。ちょっとインタビューいいですか?」と言葉巧みに部屋に上がり込み、高齢者たちの余命とタンス預金をいただいてしまう。
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ベンの狂った日常生活を追う撮影クルー。ベンのカリスマ性に感化され、被写体と取材者との境界線が次第にあいまいになっていく。
恐ろしく悪知恵が働き、残忍な手口で殺人及び死体遺棄を繰り返すベンだが、普段は陽気で、自作の詩を朗読するなど独自の美学の持ち主でもある。そんなベンとレミーたち撮影クルーが懇意になっていくきっかけは“お金”の問題だ。レミーたちはいつも金欠で、フィルムを買うのも苦労している。見かねたベンは「フィルム代は気にするな。俺が出す」と気前よく申し出る。もちろん、そのお金は罪なき犠牲者たちから頂戴したもの。ある晩、ベンが強盗に押し入った家から、両親の惨殺現場を目撃した少年が逃げ出した。ベンは「早く捕まえろ」と叫ぶ。カメラの前に戻ってきたレミーの腕の中には、逃げ出した少年がいた。今や撮影クルーは取材者ではなく、ベンの凶悪犯罪を手助けする共犯者だった。ドキュメンタリータッチで描かれた『ありふれた事件』は、本作を観ている自分もその現場に居合わせたような後ろめたい気分にさせしてしまう。
映画の撮影現場にはコンプライアンスは存在しない。監督とスタッフとキャストとの信頼関係があるかないかだけだ。『ありふれた事件』の撮影クルーは「まだ誰も観たことのない面白い映像を撮る」ことのみに体を張り、そして被写体であるベンは彼らに自分のすべてをさらけ出すことで応えようとする。殺人鬼ベンとすっかり昵懇の仲になった撮影クルーとの関係性を象徴するシュールなギャグシーンがある。ベンがアジトにしている廃墟で、ベンと敵対する殺し屋と遭遇し、壮絶な銃撃戦となる。流れ弾に当たった録音技師は絶命。ベンは辛うじて殺し屋を返り討ちにするが、その殺し屋の後ろにはテレビ局の撮影クルーが気まずそうに立ちすくんでいた。テレビ局の撮影クルーも、殺し屋を主人公にしたスクープドキュメントを狙っていたのだ。レミーたちが旧式のフィルム用機材なのに対し、テレビ局のクルーは最新のビデオ機材である。ベンに命じられるまでもなく、レミーは商売仇であるテレビ局の撮影クルーを射殺してしまう。取材者と被写体という関係性の境界線はもはや存在しなかった。
「この映画が完成すれば、映画の歴史が変わる」という『ありふれた事件』の撮影クルーたちの尋常ならざる想いは、現実のものとなった。これぞ、フェイク(噓)から生まれたリアル(真実)。『ありふれた事件』は各国の映画祭で賞讃され、世界中の映画マニアたちにその熱気は伝播していった。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)やその亜流である『パラノーマル・アクティビティ』(07)といった大ヒット作も、『ありふれた事件』が存在しなければ、生まれなかっただろう。怪獣パニック映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08)も、青春サイキックドラマ『クロニクル』(12)も、ジョージ・A・ロメロ監督の復活作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07)もなかったかもしれない。フェイクドキュメンタリーと呼ばれるこれらの作品は、低予算で済むというメリットだけでなく、手持ちカメラによる臨場感たっぷりな主観映像が魅力だ。映画を撮っている側と観客との敷居が非常に低く、観客に「どこまでがフィクションで、どこまでがリアルなのか」と現実と虚構のボーダーラインをさまよわせる面白さが妙味となっている。
日本で『ありふれた事件』に衝撃を受けたのが、『あんにょん由美香』(09)や『フラッシュバックメモリーズ3D』(12)など型破りなドキュメンタリー映画を次々と発表している松江哲明監督。16歳のときに『ありふれた事件』を劇場で観て、「これなら自分にも映画が撮れる」という想いに駆られたと話す。また、『ありふれた事件』の世界に笑いの要素を加え、独自の作風に進化させているのが白石晃士監督だ。低予算を逆手にした撮影スタイルに触発され、『オカルト』(09)や『超・悪人』(11)などの爆笑フェイクドキュメンタリーを放っている。5月3日(土)より劇場公開される『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』も現実と虚構の境界線上に現われた空中楼閣を探検するような面白さに溢れている。予算の代わりに映画的アイデアとありったけの情熱を注ぐことで成立するのが、フェイクドキュメンタリーだと言えるかもしれない。
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残酷な手口で殺人を重ねていくベン。バイオレンスシーンがあまりに迫真すぎ、「本物のスナッフフィルムでは?」と劇場公開時に騒ぎとなった。
最後に「ゆうばり国際・冒険ファンタスティック映画祭’94」に参加するために来日した『ありふれた事件』の3人の共同監督ブノワ・ポールヴールド、レミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼルにまつわるエピソードを。このとき3人と一緒に夕張まで同行したのは叶井俊太郎だった。後にホラー映画と間違って買い付けた『アメリ』(01)を大ヒットさせるなど映画業界の名物宣伝マンとなっていく叶井俊太郎だが、『ありふれた事件』はまだ業界に入って間もないド新人時代の作品だった。ドラッグを欲しがるブノワに「ジャパニーズドラッグだ」と日本の風邪薬を渡したところ、ブノワは一気呑みし、真っ青になってぶっ倒れてしまった。このとき同じホテルに宿泊していたのが、「ゆうばり映画祭」に審査員として呼ばれていた伝説の俳優デニス・ホッパー。叶井俊太郎から事故が起きたことを知らされたホッパーは、ブノワの胃にあった薬を吐かせるなどの救命措置を行ない、大事に至らずに済んだという。危うくあちらの世界に渡ってしまうところだったブノワを、かつてドラッグ中毒で苦しんだ経験を持つデニス・ホッパーが救ったというちょっといい話。
共同監督を務めたレミーとアンドレの消息は不明だが、ホッパーに命を救われたブノワは今も俳優として活躍を続けている。そして、叶井俊太郎はホンモノの殺人鬼を主人公にしたガチなドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(現在公開中)の宣伝プロデュースを手掛けている。
(文=長野辰次)
『ありふれた事件【HDリマスター版】』
製作・監督/ブノワ・ポールヴールド、レミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼル 脚本/レミー・ベルヴォー、ヴァンサン・タヴィエ、アンドレ・ボンゼル 撮影/アンドレ・ボンゼル 音楽/ジャン=マルク・シェニェ 出演/ブノワ・ポールヴールド、レミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼル、ジャン=マルク・シェニェ、ジェリー・ドリエ、ヴァンサン・タヴィエ、アラン・オペッツィ
発売・販売/アルバトロス 税抜き価格/3800円 発売日/5月2日(金)
(c)1992 Belvaux-Bonzel-Poelvoorde for Les Artistes Anonymes.
http://www.albatros-film.com/movie/arifureta-jiken