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『そこのみにて光輝く』のヒロイン・千夏を演じた池脇千鶴。いいシナリオと肝の据わった女優がいれば、面白い映画ができることを実証してみせた。
池脇千鶴が久々に本気を見せている。普段はユーティリティープレイヤーに徹し、打線のつなぎ役として製作サイドに重宝がられている池脇だが、きっちりとクリーンアップに据えられたことで、期待どおりの実力を発揮してみせた。彼女が女優としてのポテンシャルを遺憾なく発揮しているのは、『ジョゼと虎と魚たち』(03)以来ではないか。あの名作“ジョゼ虎”から、すでに10年経つ。10年の歳月を1本の映画のために惜しくもなく捧げてしまう、そんな豪気さと覚悟を池脇千鶴という女優は感じさせる。この作品のために10年間エネルギーを蓄えていたのではないか、そう思わせるほど『そこのみにて光輝く』の池脇千鶴は輝きを放っている。男たちを救済することも破滅に導くこともできる、生命とエロスの化身であるヒロイン・千夏役を見事に演じ切っている。
『そこのみにて光輝く』は函館出身、熊切和嘉監督によって映画化された『海炭市叙景』(10)などで知られる作家・佐藤泰志(1949~1990年)が、唯一残した長編小説が原作。仕事を失い、ただ漫然と生きながらえていた主人公・達夫(綾野剛)が、千夏(池脇千鶴)というひとりの女性と出会うことで生きる気力を取り戻していく物語だ。浜辺の粗末なバラックで暮らす千夏には、寝たきりで性欲だけは旺盛な父、その介護をする無職の母、前科があるため保護観察中の弟・拓児(菅田将暉)という家族がいる。千夏ひとりで一家を支えなくてはならない。北国の小さな街に仕事は少なく、千夏はスナックで男たちが求めるままに体を預け、そのお金で家族を養っている。不幸のロイヤルストレートフラッシュを引き当ててしまったような女だ。だが、どこにも自分の居場所を見つけることができずにいる達夫は、パチンコ屋で知り合った拓児に連れられてきたバラックで千夏と出会い、猛烈に惹かれてしまう。この女のために生きてみよう。家族との温かい思い出のない達夫がそんな気持ちになるのは初めてのことだった。
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達夫の職業は、造船会社の元社員から採石場の爆破技師に変更。達夫(綾野剛)も千夏(池脇千鶴)も、死の影に囚われながら生きてきた。
童顔な印象のある池脇だが、黒い下着姿がなんともエロ哀しい。自分の股を開くことでしか稼ぐことができないという自己嫌悪と、家族を見捨てることができない健気さが複雑に絡み合う。20代の頃のピチピチした若さとは異なる、30代の緩み始めた裸体が、この千夏という女性のやりきれなさを雄弁に物語っている。裸になることで、ひとりのキャラクターをここまで饒舌に表現できる女優もそうそういないはずだ。押し潰されてもおかしくない不幸を背負い込みながらも、千夏はしっかりと地に足を付けて生きている。根なし草のような生活を送ってきた達夫にとって、千夏はかけがえのない女となっていく。北国の短い夏、綾野剛と池脇千鶴が海中で立ち泳ぎしながら、お互いの体を求め合うシーンが激しく、切なく描かれる。
第1部と第2部に分かれている原作小説を、思い切った脚色で2時間の尺にまとめてみせたのは、『さよなら渓谷』(13)の脚本家・高田亮。『さよなら──』の真木よう子もチャーハン作りを得意にしていたが、『そこのみ──』の池脇が作るチャーハンもうまそうだ。脚本家・高田亮にとって、いい女とはセックスだけでなく、チャーハン作りが得意なことも必須条件らしい。若手女性監督・呉美保の起用も、『そこのみ──』を味わい豊かなものにしている。呉美保監督は1977年生まれの大阪芸大出身(山下敦弘監督と同期)。関西を舞台に『酒井家のしあわせ』(06)『オカンの嫁入り』(10)とほんわか系のホームドラマで評価を得てきた。そんな呉監督に、男と女の情交シーンをたっぷり盛り込み、さらにバイオレンスシーンもあるハードボイルドタッチの作品の演出を任せたことで、型にハマらない瑞々しいものに完成したように思う。
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腐れ縁の男・中島役の高橋和也が名演技を見せる。ゲスの極みを演じることで、池脇の存在感をいっそう際立たせている。
ホームドラマを得意とする呉監督らしさが出ているのは、達夫、千夏、拓児の3人が地元の定食屋(津軽屋食堂)で食事をかき込むなんでもないシーン。千夏が抱え込んでいるものすべてを一緒に背負うことを覚悟した達夫は、お調子ものの拓児に促され、ビールを注いだ千夏のコップと自分のコップを合わせ、初めて乾杯をする。新しい家族が誕生した瞬間だ。純白のドレスも結婚指輪もそこにはないが、千夏と達夫にとってはまごうことなき祝杯の儀式の場である。それまでずっと日陰者の人生を歩んできた2人だが、この祝杯を挙げた瞬間から、幸せになることを約束された小さな新しい家族として旅立ちを迎える。弟の拓児が立会人だ。映画史上、こんなにも質素で美しい結婚式シーンは見たことがない。
暗い夜道をひとりで歩き続けてきた達夫にとって、明るい太陽となる千夏。千夏という女性は、特別な女なのだろうか。答えはYESでありNOでもある。多分、千夏という女は達夫にとって特別な存在であるのと同時に、あらゆる女性に通じる普遍性を持った女性像でもある。『そこのみ──』に登場する男たちは、達夫も、弟の拓児も、寝たきりの父親も、そして千夏とは長年情夫の関係にある“地回り”の男・中島も含め、すべての男たちの殺生権は千夏が握っている。男たちが生きるか死ぬかは、彼女次第なのだ。千夏はエロスの化身であると同時にタナトス神でもある。そしてそんな千夏に渦巻く業は、すべての女性が抱えている核心部分でもある。池脇千鶴という女優は、女の本性を裏表なくあけすけに具象化して見せた。彼女にはこれから一体、何度驚かせられるのだろうか。
(文=長野辰次)
『そこのみにて光輝く』
原作/佐藤泰志 脚本/高田亮 音楽/田中拓人 撮影/近藤龍人 監督/呉美保 出演/綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎 配給/東京テアトル R15 4月19日(土)よりテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国ロードショー
(c)2014佐藤泰志/「そこのみにて光輝く」製作委員会
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